FCドラゴンは、地域の子ども達がそれぞれにサッカーを楽しめ、仲間をつくり、地域の大人や先輩とふれあう、こんな「場」となるような「地域に根ざしたサッカークラブ」を目指しています。子ども達の「育て方」や「しつけと教育」「子どもとスポーツ」「大会の応援」などサッカーを通して「できるところから」親と子ども達が一緒にチャレンジしています。
1.沿革
昭和56年、スペイン・ワールドカップが開催され、イギリスのチャールズ皇太子がダイアナ妃と結婚(7月29日)した、この年、FCドラゴンの前身である南小サッカースポーツ少年団が誕生しました。 以後、平成10年までに南小サッカー少スポーツ年団(わかたけサッカースポ少)として活動を続けてきました。
過去の活動の中で金字塔となる輝かしい記録は平成4年に山形県代表として全日本少年サッカー大会全国大会に出場、山形県勢ではじめて決勝トーナメントに進出、全国ベスト16に入ったことです。
その後、子ども達のスポーツ離れがはじまり団員不足、指導者不足といった問題が生じ、平成10年山形大学附属小サッカースポーツ年団(みのりサッカースポ少)と話合いの結果、大同団結する形で
「FCドラゴン」が再編され新しいスタートを切りました。
FCドラゴンのチーム名は、山形市の東南地域の南小、滝山小、六小、南沼原小の子ども達が山形六中と山形十中に進むことから当事山形六中の吉野先生、山形十中の石川先生と地域のスポ少指導者が話合い小中連携したサッカー指導を目的に「龍山会」を組織、各スポ少を合同チームとする考えでその地域選抜チーム名として「FCドラゴン」が命名されました。これを受けて平成3年12月に南小サッカー少スポーツ少年団はFCドラゴンにチーム名を改名。しかし、4月までに滝山小、六小、南沼原小は合流できないままになってしまい結果として全日本少年サッカー大会全国大会は、南小のメンバー15名単独チームで山形県大会を制覇、大記録を残しました。
附属小サッカースポ少と再編してからの「FCドラゴン」は、安藤監督から高橋監督に、さらに星監督と指導者も若返り「山形大好き、サッカー大好き」を合い言葉に子ども達の将来につながる一貫指導体制を確立、山形地区では常勝の強豪チームとして活躍しています。
栄えあるJリーガー、元モンティデオ山形の鈴木克美選手は、南小サッカースポーツ少年団の第一期の卒団者となります。この他、鈴木選手はじめ数多くのサッカー選手を輩出していますが、FCドラゴンの目指すものは、本当の意味での地域に根ざしたサッカークラブをつくりあげることにあります。
2.指導の考え方/子供を大きく正しく育てる
南小サッカースポーツ少年団と附属小サッカースポーツ少年団でスタートしたFCドラゴンですが、少子化や過保護等の理由で、年々クラブ員の数が減っています。毎年地区大会や県大会に出場し充分成果を残していますが、年会費収入のみの運営は大変厳しいものです。 そこで活動はボランティアスタッフとも言うべき父兄の協力により何とか運営しているのが現状です。 しかし、日々練習にやってくる子ども達の姿を見るにつけ、「次代を担う子ども達を大きく正しく育てるために努力をしなければ」と指導者は奔走しています。
FCドラゴンの大きな目標は、子ども達をサッカー選手だけでなく人間として大きく正しく育てることが目標です。
指導者としては、子ども達と指導者だけでなく子ども達が親や先輩などと一緒にサッカーをすることが大切だと考えています。まず低学年生は、サッカーを好きになるように指導しており、徐々に高学年になるに連れてサッカーの技術の習得や子供の生活環境を広めるなどサッカーのスキルと同時に人間としての生活感を育てたいと考えています。
その結果、サッカーを「する喜び」「見る感動」「語る楽しみ」を通して仲間と自分、そして自分と家族のふれあい。同時に、自分で考え自分で判断できる選手(人間)に育ってほしいと願っています。
指導においては、チームの勝利にのみこだわらずチャンスのある子ども達には、最大のサッカーの機会(チャンス)を与えるのが指導者の役割と心得ています。選手は、山形県サッカー協会主催のトレセン活動や選抜チーム、山形4種女子チームや地域サッカークラブ等に積極的に参加しています。
FCドラゴンのOB、OGの選手は、山形六中、山形十中、山形附属中、モンティデオ山形Jrユース、FC山形Jrユース、その他、柏レイソルJrユース、仙台のサッカークラブに進んで活躍しています。 サッカーを子ども達と楽しくするために「できるところからチャレンジする」ことが、地域に根ざしたFCドラゴン活動の姿です。楽しい友達をたくさんつくり多くの仲間と一緒にサッカーやりましょう。
Chance!!Challenge!!Champion!!